| 自坊紹介 当山は禅馬山三郷院又は禅馬山密厳山と号し、開山開基は明らかではないが、現在の古文書によれば鎌倉時代から続いていることは明白である。 曾我兄弟による富士の裾野の仇討ちが建久四年五月二十八日で、 この仇討ち後最初に立ち向ったのが頼朝の家臣である平子平右馬允氏である。 この平子氏が十郎なる者に斬られ重い傷を真照寺で療養したものと『吾妻鏡』に明記されている。 『新編式蔵風土記稿』によれば元暦元年に 平子平右馬允氏が当山を再興したことが記されている処から、おそらく平子氏を開基とし同一族の菩提寺であったかもしれない。 文明五年僧圓鎮が造営を加え郷内禅馬根岸両村三分の一の所領を寄進した。禅馬山三郷院の名はこれにより生じたと伝えられている。 徳川家より御朱印地寄進され、御維新までは稲荷大明神及び同村に在した御嶽権現の別當を兼帯していた。 本尊は阿弥陀如来(立像)であり、脇仏の毘沙門天は平子平右馬允氏の像と伝えられる。旧本堂並に毘沙門堂はおそらく鎌倉時代後期の建物として伝えられ、何れも柱は傾き腐朽甚しいものであった。 現在の本堂は、昭和三十七年六月に落慶された。 間口七間、奥行七間、 屋上には塔屋六坪を設けた鉄筋コンクリート造りの 新しい感覚を取り入れた仏堂である。 本 尊 阿弥陀如来三尊仏 仏 像 阿弥陀如来、地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天、釈迦如来、弘法大師像 開 創 年 代 不詳(鎌倉期前) 開 創 者 不詳 建 物 本堂、客殿、阿弥陀堂、不動堂、庫裏 住 職 名 水谷 栄寛 霊 場 新四国東国第四十九番、磯子七福神、毘沙門天、市内三十三観音霊場 |
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